ムワンザでの一日
朝、早めに起きて、バス停を探した。やはり、チケットは近くで買えるけど、長距離のバスは10キロくらい離れたニェゲゼという場所まで行かなければならないらしい。
とりあえず、午前中のアポもあるので、近くのバス停を後にした。
ホテルに帰ってくる道でおばちゃんが作っているストリートフードがあったので、たべた。
パン 豆 お茶、それぞれ 200 tsh.
あまり美味しくないけどお腹が膨れた。
因に泊まったホテルはdiplomatic lodge という場所だ。
20,000 シル
他のホテルも明るいうちに回ってみたが、ちょっと安いけどトイレ臭かったり、10000シルの宿で外国人だからってぼってくる所だったりで、同じ所にもう一泊することになった。
洗濯物が出来て良かった。
投資関係の人に会って、お金借りているお客さんを紹介してもらい、そこにいった。
残念ながら留守だったので、自分で後で来ることになった。
この投資の人はウガンダにもコネがあるらしく、ウガンダに行ってみたくなった。
mwanza city council に行ったら、魚の人がofficial letter が無いと何もサポート出来ないと言われた。
彼と話したあと、どうやって行政と付き合えばいいか少し分かるようになった。
その人から1つ上の mwanza local government を紹介してもらい、そこで海外投資を誘致する部署の人に会った。
この部署はマグフリさんが大統領になってから出来たらし。
その部署の人と話したら、一度、日本に帰って行政とやり取りしたあとに、招待されてタンザニアに入国したほうがいいのではないかと思った。
自分がタンザニアの外にいると、仕事遅そうなのでなんとも言えないが。。。
午前中に留守だった魚屋さんにお邪魔した。
ここはナイルパーチの骨と内臓と皮膚をとる加工をしているらしい。ふくさんぶつは中国人が買っているという。
本当にどこにでも中国人いる。
午前中の投資のひとがグリーンハウスの人も教えてくれたので、行くことにした。
その人がスワヒリ語しか話さなくて苦労した。
5時頃あうよていになり、行きたかったが、遠い所にいる。
ピキピキで15,000 もかかった。往復30キロ位の道のりだ。
しかし、田舎の場所やグリーンハウスを見れたのでよかった。
街に帰ってきて、もうムワンザでやり残すことがなくなったので、ブコバ行きのバスチケットを買った。
20,000 tsh
どんどんお金が無くなっていく。
魚の薫製を帰りに買って、食べた。 2,000 tsh
タンザニアで初めて魚を食べた。
明日の朝は4時起きでニェゲゼバス停まで移動だ。
朝、ミニバスが走っているといいな。
mwanza へ 移動
朝は5時に起きて、支度をした。
5:30にはバス停に行き、バスに乗った。やはり早めの行動はいい。
ダブルブッキングされていたのか、僕の席と被っているひとかいた。
こういう時は早いもの勝ちだ。なので、これからも、早めに行動しようとおもう。
バス会社が違えば、値段同じだけど、質がしがう。今回のは当たりだった。
Asante rabi express.
バスに揺られて13時間、アルーシャからムワンザについた。
降りたバス停が市内から車で20分位離れているので。、初めは分からなくて、gps が。壊れて、いるのかと思った。
ミニバスに400シル払って移動し、市内に着いた。
ホテルは適当なとこを選んだら20,000シルだった。ちょっと高い。
夜話。外で チップシマヤイをたべた。
通りのおばちゃんが売ってる春巻きみたいの二個かったらお茶をサービスしてくれた。
お茶を飲んでいたら。少年達が集まってきて少しお話した。
家に帰って寝る。
今日は移動の日だった。
明日は魚の人に会う。
バスの休憩で野原におしっこするときがあった。写真はその時の
arusha to moshi
朝6時に起きて、7時のバスでモシへ向かった。ミニバスで運賃は2500シル。みんな騙そうと3000シルと言ってくるのだが乗客と運転手に聞くのが一番だ。
アルーシャのホテルはチェックアウトしてあって、モシからムワンザまで行こうと思っていたが、後々大変なことになる。
モシへの道中、キリマンジャロをみた。
ただの雪山だった。
二時間の道のりでモシへ到着した。バス停での営業はアルーシャよりひどくなかった。
すでに現地のジャイカ隊員さんから安宿を教えてもらっていたのでそこへ行く。 kilimanjaro packpackers というホステルだ。
日本人は八人くらいいてびっくりした。みんな昨日キリマンジャロに登って帰って来たらしい。疲れているようだった。
住んでるのが日本人多いので、相部屋にした。6ドル。
朝食パン三枚食べて、11時のアポにむけて、new nssf building に向かった。
人に聞きながら歩いて行ったので、時間掛かったし、汗かいた。モシはアルーシャより全然暑かった。
一個目のアポはうまくいったし、投資に協力したいと言ってくれたけど、その人が病気で最近手術したらしい。ちょっと生命力がないのが難点だ。
そのあと、昼食を取らないまま、ダルから連絡を取っていた宝石商に会いにいった。
彼は宝石のみじゃなく、不動産やホテル業をしているらしい。
食品加工に興味を持ってくれて、フィッシュマーケットに連れていってくれることになった。
親子で対応してくれたのだが、息子が中国の大学で国際経済を勉強したそうだ。
頭が良さそうだし、熱心に僕の話をメモとりながら聞いてくれるので、うれしいいが、ちょっとアイディアを盗まれたり、会社を一緒に作ってものっとられてしまうのじゃないか?と感じた。
やってみなければ分からないけど。
フィッシュマーケットに行ってからは小売の人と卸売りぼ人に何点か質問した。彼らは無駄を作らないように在庫を買っている。無駄を作っているのは、生産者のようだ。この数字の調査を息子に託して、彼と別れた。
その後、municipal office に行った。場所が分からなくて会う予定の人よりもずっとえらい人に会うことになった。
そのごピキピキにのって会う予定のあったofficer に会いに行った。彼からムワンザの人を紹介してもらって。別れた。
すでに4時を回っており、ジャイカの隊員さんと4時にあうよていが遅れてしまった。
またピキピキで移動た。1000シル。
話したら、r&d の人だったけど数学教えているらしい。数学を教えているらしい。
友達に南スーダンで隊員やってたひとがいるらしく、今度話聞きたい。
移動することになってバスのムワンザ行きのチケットを買おうとしたら、4日先まで全部満員らしい。
どっかの部族が1/3からムワンザにモシからの帰るらしい。
その日丁度当たってしまった。
ジャイカの隊員さんにも手伝ってもらって、アルーシャ発のチケットを取ってもらった。オンラインじゃないと本当にに面倒だ。エムペサで支払ってもらったのはいいが、今度はチケットを受け取らなければならない。
そして、モシからアルーシャ行きのミニバスがチョー混んでいる。
みんな我先にとおしくら饅頭をしていた。
ホステルは結局泊まらないままチェックアウトし、リュックを持ってバスに乗り込んだ。途中で押されすぎて、20,000シルしたリュックがピリピリってなってちょっと壊れた。
アルーシャへのバスの中でアルーシャで中学校の先生をしている女の人と隣になった。タンザニアは中学校から英語教育なので、彼女も英語が堪能だった。
アルーシャでのムワンザ行きバスチケットの受け取りは8:00を予定していたが、8:30 になってしまった。
チケットを受け取って、バスの場所を教えてもらったら、ソーダを請求された。なにかしたらすぐに何かを要求するタンザニアの人は好きじゃない。プロフェッショナリズムが実現するのはいつなのだろう?
前に泊まっていたホステルが満員だったのでそこの従業員が、一緒にホテルを廻ってくれて、30,000シルから25,000シルへ値段を下げてくれた。
しかし、彼に夕食をおごったので、値引きの意味がなくなった。
しかし、彼から色々話を聞けたのでよしとするのもいいが、奢ってる関係がアウトサイダーを僕のことを見なしているし、外国人として見ているからなのだろう。
早くねた。
明日は5時起きだ。
Arusha 最終日
朝ごはんは8時頃食べて、道を歩いていたら"こんにちは" と話しかけられたので、その人の所に行くことにした。
100シルの路上コーヒーを飲んでいたので一緒に飲む事にした。
彼はおっさんだけど、英語が喋れる。
よく新聞を読んでいるらしく、税制変更やそれによるアルーシャの経済へのインパクトも考えていた。
小さい旅行会社はタックスが上がったことにより、値上げもして、観光客が減ったらしい、また、人が少ないと、ンゴロンゴロ公園とかサファリへ行くときに車が満員にならず採算が合わないそうだ。
そういったときに共同運行したりして食いつないでいるらしい。
municipal office のことやTRA のことを話した。
アルーシャに到着したときに、夜中だったが二人の現地人セールスを連れていたのをみたらしい。ホントに外国人はこの街で目立つようだ。
彼はいま泊まっているkilimanjaro villa guest house の隣に住んでいるらしい。
そういえば、今朝いきなり水が出なくて困った。
二人の旅行者を対象としたセールスの人はどうやってお金稼いでいるのか聞いたら
やはり、ホテルが値段をあげて、バックマージンをもらっているそうだ。
逆算すると、その夜25,000 シルって言われて次の日に自分でいって値段を聞いたら15,000シルだったので、バックマージンは10,000シルのようだ。
次からは自分で見つけるようにするか、後で電話番号もらって、電話しようと思う。
アポをとって午前中に農業関係の商工会議所みたいな所、TAHA に行った。
地形やどんなサポートをしてくれるのか教えてくれた。
また、色々と紹介もしてくれた。50分位話したが、面白い内容だった。
そこで、銀行員の女性にあって、TAHA に投資しているわけじゃなくて、会計処理を手伝っているらしい。今度、採用面接に誘われた。
そこからでたらバイクタクシー三人組に話掛けられた。スワヒリ語をちょっと喋ったら喜んでくれた。
楽しく話をして別れた。
そのあと、municipal office にいって農業の人に会った。アヴォカドは作るのに時間が掛かるから、トマト、玉ねぎ、野菜が成長が早く、そっちをメインにやっているらしい。
そのあと、fishery の人を紹介してもらった。
その人に会いに別の建物行く予定が間違った建物に入ってしまい、政府の会計士と話すことになった。
タンザニアの会計ツールを教えてもらった。apika が多く政府で使われ、private sector はtali かquickbooks を使うらしい。
会計方式はイギリス式で、政府と民間で会計方法も別れているらしい。
新年の挨拶も教えてもらった。
Hari ya mwaka mpya
新年の挨拶を言ったらみんな笑顔になる。
Fishery officer のいる建物の前にたむろっているバイクタクシー集団に
Hari ya mwaka mpya っていったら、みんな笑顔で返事してくれた。
Fishery のおばちゃんは魚の養殖の教育をしているらしい。ビジネスの人というより、先生といった感じだ。紹介してくれた人はスワヒリ語をしゃべるだけで、英語はわからないみたいだった。 Mwanza で良い風に繋がるといいなー。
家に帰ってきて、近くで昼食を食べたら雨が降ってきた。アポが全部終わった後で良かった。
明日はモシに行く。宝石の人やジャイカの隊員さんに会うので楽しみだ。今日でアルーシャともお別れだ。
3日いたこのゲストハウスともお別れだ。いい人達だった。
午後、8時位にヨーロッパ人のバックパッカーがゲストハウスにガイドを連れてきた。
やはり値段hsバックマージンを含んだ25,000シル。 モシでは自分でホテルを探して見ようと思う。
このヨーロッパ人は女性で博士課程でアフリカの人権問題のトピックを取り組んでいるらしい。
フランスの人だが、中国よりもフランスの方がアフリカへの投資額が大きいのでこういった人が多いのだろう。
"Is africa ready for human rights?" って聞いたら黙ってしまった。
元旦 in arusha
今日は日曜日の元旦。
今朝s、洗濯物を手洗いしたら、ワイルドな気分になった。
日曜日と元旦ということもあってアルーシャのお店は半分くらいは閉まっていた。
朝食、といっても9時くらい、にレストランへ行ったら、パンと紅茶しかなかった。
卵や豆はまだ作らないらしい。
腹ごしらえしたら、食品のマーケットに行ってみた。アジア人の顔をしているだけで、チナって呼ばれて話しかけてくれるので、話をしたそうな現地人を見分けられていい。
そのなかで、英語を喋る人がいたので、ちょっと長話をした。
一羽の内蔵を取り除いているチキンが6500シル。 卸値は6000シル。
利益は500シルのみらしい。
売れ残った鶏肉は凍らせて、遠い市場に売りに出されるらしい。
その人に、缶詰にして長期保存、冷蔵なし、したいって話をしたら、自分のなかで質問に答えられないことが多くあった。
缶詰の缶は一個いくらか?
どのくらいの量でうるのか?
6500シルよりも高くうれるのか?
サファリに行く観光客やモバイルシティにいいねとか。
部分部分に分けているマーケットでは、6500シルの鶏肉が20,000シルに変わるとか。
ホテルに売ったら良いじゃないとか。
自分のアイディアを惜しみ無く伝えればそれのお返しももらえるのは嬉しかった。
色々話していると、人が集まってきて、奥さんが3人いるひとに会った。ここのマーケットのボスらしい。
サングラスしていてヤクザみたいな風だった。
午後は雨が降ってきて、外に出たく無くなった。
五時くらいに雨が止んだので外へでてregional municipal office の場所を確認しにいった。日曜日なので開いていないが場所だけ。
近くにクロックタワーっていう観光名所があって、そこで観光客にtinga tinga をうっているマサイの行商人に営業をかけられた。
買わないというと"マサイをサポートしてくれ"と言われて、タンザニアをサポートするためにここにいるんだと言うと"家に帰る交通費をくれ"と言われる。
と言うわけで、お金を簡単に得る方法を与えたく無かったので、観光客に対する営業のやり方を教えてあげた。
"貴方買ってくれないから盗人になったほうがいいのか?"ときかれたが、"この前クリスマスがあって、神のなのもとに、ホントにそれやるのか?"と言ったら黙った。
彼らが押し売りでなくうまい営業で商品を売ることを願う。
それにしても、外国人だからってねらって売って、くるのはいやだなー
僕は現地人になりたいので、余所者と思われたくない。スワヒリ語を勉強しないと。
夜はちょっと高めのインド料理を食べた。
タンダリーチキンだったが昼に6500シルの一羽を見ているので、値段設定が高く感じてしまった。
帰りに、通りの少年たちとサッカーをして帰った。ニドルくれっていう子供がいたので、お母さんに食べ物作って貰って、うりにいけ!って言ったら静かになってくれた。
明日から月曜日。仕事の始まりだ。
朝食 1500シル
朝からゲームしているおじさんたち
魚と少年
元旦の通り
夕食 11,000シル
arusha で色々廻って見る。
朝、6時に間違え電話で目を覚ます。
昨日は14時間のバスの旅で足がパンパンに膨れていた。
アルーシャの朝はとても寒くて、日本を思い出した。それなのにシャワーの水は冷水しか出なくて大変な思いをした。
meru hotel よりもkilimanjaro villa の方が安いのでホテルを移動した。
15,000 tsh per night になった。シャワートイレが共同でちょっとボロいけどいいでしょー
次のホテルに行く道中、マサイ族のプロミスリングの押し売りにあって、言い合いになってしまった。
わざわざ買いたくないものは例え彼がsupport masai と言っても買いたくない。
ホテルで働いている人と話をして、朝食も一緒にとった。安いので払ってあげた。
彼はホテルの他にもマサイマーケットでも働いておて連れていってもらった。
折角なので、高いけど彼の兄のやっている土産屋dwキーホルダーを買ってあげた。
値下げして13,000 tsh はヤバイ高い。
色々道案内もしてくれたので、お礼の意味も込めて買った。
そのあと、タンザナイトの商売をしている人に会った。話を聞くと、どの産業でもタンザニアは価格や量が一番に来るらしい。
日本の技術を持ってきたらどんなことが出来るか説明したら食い付きが良かった。
生産量を上げるときにサプライチェーンの全てを見直さなければならないのは課題だった。
夜に、通りであった韓国人に年越しをバーでやろうということになったが、結局流れた。
こんな感じで2016年が終わった。
去年の年越しも日本にいなかったので、正月を忘れてきている。
クリスマス同様、一ヶ月くらい前からニュースやお店の音楽でその気になるが、それらがないとあまりなんてことないような気がする。
バスでアルーシャへ
朝、5時に起きて、6時に家を出発した。青いバスで約30分かけてubungo bus terminal に行き、lim safari っていうバスを探した。
バスの種類は 3x2 and 2x2 がある。
2x2 の方が新しいバスで故障も少ないと思う。道中壊れているバスがあったので、新しめのバスがいいでしょう。
8時出発予定が7:30出発と言われた。早めの行動をしていて良かった。
バスターミナルのトイレは有料で200シルかかる。150シルしか持ってないと言ったら、それでオーケーだった。ラッキー
結局バスターミナル内が渋滞していて、出発は8:00だった。
何回か停まって人が乗り込んで来たりした。
バス内にはテレビがあって、映画とMVを永遠と繰り返していた。
トイレ休憩も短いので結構気を付けなくてはならなかった。
アルーシャまで結局14時間くらい掛かった。足がパンパンである。
夜10時近くの到着のため、怖かった。色々な人に声をかけられた。2人がホテルを紹介してくれたがあまり信用しなかった。今回が初めてのタンザニア一人旅なので、どこまで言うことを聞けばいいのか裁量難しい。
一つ目のゲストハウスが満室で2つ目はちょっとたかい20ドル。
最後はmeru house innというところに泊まることにした。25,000 tsh. 30,000tsh っていわれたけどちょっとやすくしてもらった。
連れてきてくれた人に1,000シルあげた。ホテルからバックマージンもらっているだろうけど、あげた。
一つ目のホテルから電話があって15,000シルで明日から泊まらせてくれるらしい。いいレートだ。
何日間アルーシャにいるか分からないけど、予定を。しっかり。建てたい。
Meru house inn
http://meruhouseinn.com/accommodation/
Ubungo bus terminal