旅の後処理とタンザニアの中国人
旅が終わって、せっかく作ったコネを活かすためにいろいろと後処理を本日はした。
主にThank you emailだが、Whatsappで連絡の取れる人はかなり便利だ。
日本への帰国も間近になって、国際電話で連絡取るわけにも行かないので、こういった連絡手段があるととてもありがたい。
それぞれの人から連絡が帰ってきて、電話をしてくる人もいた。
そのうち、一人がDar es Salaamで家を持っているらしく、1/14 土曜日にダルで会うことになった。新車の商用車の輸入をしたいらしいが、そんなにお金あるのかな?
周りの商用車を見てもほぼ中古車。
青いバスがあるのだけれども(たぶん国営)、それもたぶん中国製のバス。
日本の新車バス・トラックが使われることがあるのだろうか?
業務内容がいろいろ変わって、帰国日を変更しなければならなかった。
Dar es SalaamにEtihad local officeがあるのだけれども、Fixed Ticketの日付変更には対応してくれなかった。
明日、またUAEに連絡してみようと思う。
夜運動してから、中国人の家に招かれた。夜10時ごろ。
ドドマからダルエスサラーム 移動2日目
車内泊で、あまりに臭いのと、窓締め切っていて二酸化炭素ありすぎなのと、長時間のバスの移動で腰が痛いのとで、午前三時位に外へ出た。
今日はまだ何も前の日は何も食べていなかったので、夜のバス停の屋台で食事をすることにした。
また、チップスマヤイを食べた。
田舎なら1,500シルだけど、首都、ドドマでは2,500シルと言われた。
量もちょっと多かった。
雨が降っていたので屋根があるところで食事をしていると、同じバスの従業員がいて、そっちのテーブルに誘われた。
彼の勤務時間が終わっていたようなので、お酒を飲んでいた。
タンザニアのテキーラ、コニャギとビール、bilima を混ぜて飲んでいた。
目を見ても酔っぱらっているのが分かった。
夜だから私が警戒しているのが分かったのか自分の紹介や周りの人を紹介してくれた。
バーの店主(女) と仲が良いのか、一緒に踊ってたりした。
食事も済んで話をしていると、、仲良くなった。
店主と一緒に僕も踊った。
人々の中にすごく僕に話をしてくる人がいて、赤色のバンダナを持っていたから tupac に似ているね!と言ったら、スワヒリ語でラップを披露してくれた。かっこよかった。
旅をしていると、いつもの生活では会えない人と会えるから好きだ。
こういった経験はタンザニアの人々をしるのにいとても役に立つ。
ぼくがスワヒリ語を喋れればもっと良かった。
バスも5:15a.m. にエンジンがかかり、5:30には出発した。
これからドドマ から ダルエスサラームまで8から9時間の旅だ。
途中渋滞があって、9時間になった。
道中すごいバンプがあってすごい後ろの席で跳ねた。
今度から絶対バスの後ろの席は座りたくない。
同席している人たちと仲良く喋って、ようやくダルエスサラームの ubungo bus terminal に帰って来た。
ここはアルーシャに向けて出発した場所だ。
旅の前はどんな事が起きるか不安だったけど、無事に終えることが出来て良かった。
ダルエスサラームに帰ってきたら、ホントにふるさとに帰って来た気分だった。
バスを降りたら、同席した人とお別れし、ドドマで酔っ払っていた従業員と連絡先を。交換し、タクシーの営業をすんなりかわし、ローカルバスの駅に無事ついた。
やっぱり知っている街に帰って来るのは気分が良い。
家の近くまでの30分の道程が近く感じた。
家の近くにたむろしている現地人とお正月の挨拶をして、家に帰った。
車内泊していたのでシャワー浴びたら気持ち良かった。旅の時はずっと固形石鹸で髪を洗っていたので、シャンプーはとても髪に良かった。
そのあと、用事をさっと済ませた。
家の外で中国人の友達に会って、夕食に招待された。
中華料理はとても美味しかった。手ぶらなのもあれなので、フルーツジュースを持っていった。
この人はとても自分に良くしてくれる。
一緒に中国のドラマを見て、もうすぐ寝る。
疲れているだろうから何時間寝るのだろう?
今日覚えたスワヒリ語
ウタオカ ワピ
どこ行くの? っていう意味
Ubungo bus terminal とブコバからダルまで乗って来たスカニアのボロいバス。
無事故でありがたい。
ブコバからダルエスサラームへ
昨日はあまり飲まなかったので、朝はスッキリだった。
8時にバスが来る予定がちょっと遅れた。
車内でカリアコーに行くか聞いてみたら、ウブンゴまでしか行かないようだった。
また、カリアコーってみんなが聞いたら驚いていた。やはり現地人にとっても危ない街のようだ。
途中、バスを間違えて乗った人がいたので、下ろされていた。
バスの席は一番後ろから一個前だと思っていたら、一番後ろだった。
なんで、ダメかというとバンプでバスの後ろは跳ねるから。
道中何回も痛い思いをした。
日本も同じだけど、バスの後ろの方には面白いやつがたくさん乗っている。
ちょっと話して仲良くなった。
しかし、となりは子連れのお母さん。
お金が無いので、一つの席に二人で座るので、かなり隣の自分が狭くなる。
後々、子供が俺の膝の上に乗ってきた。
子供はホントにお構いなした。
けど、タンザニアに受け入れられた気がした。
あとは、ずっと車に乗っているだけだった。
一日でブコバからダルへいけると思ったら、バスがボロくてノロノロ走り
夜の12時過ぎてやっとドドマに着いた。
タンザニアは法律で夜は走っちゃいけないことになっているので、ドドマのバス停で車内泊となった。
車内の臭いがひどくて、2:30 朝 にご飯を食べに外へでた。
そこでは、面白い人たちがいた。
その話は明日の日記で。
ブコバでの一日
アポが重なって調整するのが大変だった。
昨日飲んだこともあり、2日酔いだった。
8時にミーティングのため、朝が大変だった。
事務所に7:45に着いたらすでに会う人がいた。その人が呼んだ人も来ていて、タンザニアなのに時間守ってすごいとおもった。
色々やりたいプロジェクトについて話したら、すごいのりのりだった。
話終わって、午後に農場へ行くことになった。
10時に政府系の人とアポだったが、10:50に来た。
I am on tge way は本当に信じられない。
政府の建物に来て、魚の担当者に会うのだけれども、それも段取り悪くて、かなり待たされた。
話した内容もうわべだけのつまらんものだった。
正式に tic とやりとりしないと、この人達は動かないなーというのが印象に残る。
Isaya っていうブコバ初日に会った人がリサーチ2日かけてやるからお金頂戴と言われた。
どこかでタンザニア人を信用しなければならないが、なかなか難しい。
100,000シルって言われたけど、それは、魚と農作物の調査。
夜にもう一度会って、50,000シルで魚の調査だけやってもらう事にした。
地元人にちょっとチップをあげるためにこの値段と言われたが、試しで、彼が信用出来るのか50,000シルで試していると思うことにした。
午後に、朝会った民間企業の人が農家に連れて行ってくれる事になった。
ガス代金50,000シル欲しいと言われた。
結局半分位しかガス使わなかった。
行った農家はヤクザみたいな親分がいた。
良い家に住んでいて、ベンツ持っていた。
現在、40フルタイム 15テンポラリー の従業員がいるらしい。
牛、バナナ、魚養殖をやっている。
バナナワインのサンプルをもらったので日本で検査してみる。
アヴォカドもあった。
非常に協力てきで、部屋も工場のために貸してくれると言われた。
やはりスワヒリ語を喋らないと人の深い所まで分からない。あとあと何か言って来なければいいが。
金儲かるとどうになるか分からない。
そういった会議も終わり、バスのチケットを確認した。
明後日のチケットを買おうと思ったが、明日の朝出発しかないらしい。
もういちにちブコバに居たかったが、明日のチケットを買った。
Bukoba to dar es salaam 60,000 tsh
こうしてタンザニアの北側の旅が終わる。タボラに行きたかったが、時間てきに無理。
なんとなくタンザニアでどうやって自分が活躍出来るか分かった気がする。
夕御飯にチップスマヤイを食べた。
ムワンザからブコバへ
朝、4時に起きて、4:30にはホテルを出た。
今日はムワンザからブコバへバスで行く。
予定では6-7時間の道のりだが、どうなるか分からない。
4:30 というと真っ暗だったが、ピキピキの人達がいた。
昨日、ピキピキで散財し、シリングがなくなってきたため、ミニバスでいくことにした。大通りまで歩いていき、10キロ離れたバス停の方向に歩いていると、ミニバスがあった。
ニェゲズに向けて出発したのだが、道のり半ばでエンジンが壊れた。
すでに5:10を回っていたので、走って三キロの道のりをどうしようか迷っていた。走るか、直るの待つか。
迷っていたら、幸いに別のミニバスが来たのでそのバスでニェゲゼバス停までいった。
着いたらついたて、真っ暗なのでどのバスにのっていいか分からない。
親切に教えてくれる人もいるけど後でお金請求してくるので、あまり好きじゃない。
結局一人の人に捕まって、200シルあげた。
まあバスも見つかったし、いいかー
Mwanza to Bukoba の場合、ムワンザ近くの川をわたらなければならなくて、フェリーに乗った。400シルかかった。
朝の風が気持ち良かった。
このバスが3x2 のぼろいバスで大変だった。
道が途中からアスファルトじゃなくて、砂の道になってしまうし、
雨が降って、砂の道が泥になり、バスが登り坂を上らなくなった。
みんなでバスを降りたら、バスが軽くなったのか、動き始めた。
結局10時間かかった。
ブコバのバス停のセールスはそんなにしつこくなかった。
アルーシャみたいに観光の人が少ないからだろう。
とりあえず適当に歩いて宿探し。
メインの通りは高いホテルなので、一本道を入ったら、直ぐにホテルを見つけた。
New banana hotel
20,000 tsh って言われたけど、15,000 tshにまけてもらった。
ホテルの目の前にクリニックがあったので、話に行った。
敷地内にバーがあるクリニック。
ドクターに聞いたら、血圧は計れるけど、体温は測れないっていっていた。
話を聞いて、薬をあげているそうだ。
メイドイン ここのクリニックだった。
月に30人位の患者がくるらしい。
夕方暇になったのでlocal gov. の人がホテルに来てくれた。
ちょっと話したけど、楽しい人だった。
喋る終わったら、クリニックの隣でバーがやっていたので、一杯ひっかけた。
そこにいた、3人のブコバの人と仲良くなった。
ここでビール二本飲んで、そのあと、local gov. の人に飲みに誘われて、そこでも飲んで。
朝から何も食べてないのに、体にわるいことした。すぐに酔っぱらった。
気は抜けないので、頑張って耐えた。
Local gov. の人に飲みにいったら、おごってくれるのかと思ったら、逆におごらされた。
38000シルかかった。
せめて割り勘にしてほしかった。魚がうまかった。
ブコバのクラブに連れていってもらった。
男ばかりで、女は働いているひとだけだった。
女だけでくるのは勇気がいるのだろう。
けど、アルーシャには女の人がクラブの前に立っていた。
クラブの音楽は80年代のマドンナとかでつまんなかった。
こういうところが後進国なのだろう。
12時前にホテルに帰って、水飲んでねた。
夜遅いと、水買うお店が空いてなくて困った。
ホテルで買った。
明日は朝8時からアポだ。
ムワンザでの一日
朝、早めに起きて、バス停を探した。やはり、チケットは近くで買えるけど、長距離のバスは10キロくらい離れたニェゲゼという場所まで行かなければならないらしい。
とりあえず、午前中のアポもあるので、近くのバス停を後にした。
ホテルに帰ってくる道でおばちゃんが作っているストリートフードがあったので、たべた。
パン 豆 お茶、それぞれ 200 tsh.
あまり美味しくないけどお腹が膨れた。
因に泊まったホテルはdiplomatic lodge という場所だ。
20,000 シル
他のホテルも明るいうちに回ってみたが、ちょっと安いけどトイレ臭かったり、10000シルの宿で外国人だからってぼってくる所だったりで、同じ所にもう一泊することになった。
洗濯物が出来て良かった。
投資関係の人に会って、お金借りているお客さんを紹介してもらい、そこにいった。
残念ながら留守だったので、自分で後で来ることになった。
この投資の人はウガンダにもコネがあるらしく、ウガンダに行ってみたくなった。
mwanza city council に行ったら、魚の人がofficial letter が無いと何もサポート出来ないと言われた。
彼と話したあと、どうやって行政と付き合えばいいか少し分かるようになった。
その人から1つ上の mwanza local government を紹介してもらい、そこで海外投資を誘致する部署の人に会った。
この部署はマグフリさんが大統領になってから出来たらし。
その部署の人と話したら、一度、日本に帰って行政とやり取りしたあとに、招待されてタンザニアに入国したほうがいいのではないかと思った。
自分がタンザニアの外にいると、仕事遅そうなのでなんとも言えないが。。。
午前中に留守だった魚屋さんにお邪魔した。
ここはナイルパーチの骨と内臓と皮膚をとる加工をしているらしい。ふくさんぶつは中国人が買っているという。
本当にどこにでも中国人いる。
午前中の投資のひとがグリーンハウスの人も教えてくれたので、行くことにした。
その人がスワヒリ語しか話さなくて苦労した。
5時頃あうよていになり、行きたかったが、遠い所にいる。
ピキピキで15,000 もかかった。往復30キロ位の道のりだ。
しかし、田舎の場所やグリーンハウスを見れたのでよかった。
街に帰ってきて、もうムワンザでやり残すことがなくなったので、ブコバ行きのバスチケットを買った。
20,000 tsh
どんどんお金が無くなっていく。
魚の薫製を帰りに買って、食べた。 2,000 tsh
タンザニアで初めて魚を食べた。
明日の朝は4時起きでニェゲゼバス停まで移動だ。
朝、ミニバスが走っているといいな。